3日続けて投稿しておりますが、区切りの良い所までまずは続けたいと思います。何とか現役で藤田学園に入学したものの医学と言う学問は覚えることばかりで国語・社会のダメな記憶力の悪い私には苦痛の教科ばかりでした。医学部は理系学部の割に文科系の様な授業の多さにやる気もなく、今覚えてもすぐに忘れるから一生懸命覚えるのは4-5年生になってからで良いのではと考え殆ど勉強せずに遊んでばかり、それに加え得意のはずの物理の問題が解けず不合格になり物理の教授に僕の出来ない様な問題は難しすぎる問題だと文句を言いに言った記憶があります。教授はだけど”皆んなは解いてるぞ”と言われびっくりしました。合格した同級生にどうして解けたのか聞いたら”この問題が出たら答えはこれなんだよ”と教科書を見せられ解いたのではなく答えを覚えていたと言いました。
実は数学や物理が若干得意だったのはあまり勉強しないでも、その場で考えればある程度分かる事が多く、更に当時藤田の英語は辞書持ち込み可と言うメリットもあり、結果あまり勉強しないまま医学部まで入学出来ただけでした。2年生になり当時は解剖学か生理学のどちらかが合格すれば3年生に進級できる時代でした。じゃあ解剖学だけ覚えるかと受けた解剖学試験は割と出来たと思ったのに不合格となり初めから合格の難しい生理学は当然不合格で進級できず、結果2年生をまたやる事になりました。解剖学の実習でやることはやってたんですが、休憩時間が長すぎたみたいです。
取り敢えずはストレートで進んできた人生で初めての挫折でした。浪人は良いが留年はだめだ。殆どドン底だったのですが、2回目の2年生も一つ下の東海生や1浪した東海生が多くやはり群れをなして騒ぐ排他的集団となり友人も増え相変わらず不勉強のままの状態でしたが、二つ僕の人生で大変ラッキーな事がありました。一つは難しいと言われていた生理学の*教授が僕の担当教授になりもう一人の出来の悪い子と共に週に一度教授室で生理学を教えてもらう事になりました。生理学は医学の基礎中の基礎でこれを理解する事でその後沢山覚えるべき病気の実態なども実態を一度覚えると理解が深まりなかなか忘れない様になります。ちょっと解る化学と物理も重なりだから医学は理科系なんだと思いました。もう一つ大変ラッキーだったのは後に大学を主席卒業したものの素行の悪さで卒業証書の授与は2番の子に渡されたと言う東海の一つ下の西山くんが僕の家庭教師になってくれ、分からない事は僕が解る様に一日考えてから教えてくれました。詰まらない話ばかりですいませんが、後半には不妊症について話もしたいと思っています。まだ序盤です。生理学が分かるとどの様な原因でどの様な症状が現れるかかなり理解しやすくなります。その後は生理学も理解し暫くギリギリですが、進級してきました。卒業試験はギリギリで不合格(59.5点)当時は秋にも問題は難しくなりますが、もう一度チャンスがあり秋の卒業試験は主席卒業 国家試験もほんのちょっと余裕で合格出来ました。
*佐々木教授には本当に感謝しております。*西山先生 未だによく一緒に戯れくれ、僕の分からないことは今でも解る様に教えてくれます。